目次

ランニング中は自分の内面を知れて考えるだけの贅沢な時間

1.ランニングは裸の自分と付き合える
レースに出るようになって感じたことですが、ランニングは孤高の戦いです。
走っている最中、ランナーはむき身になります。自分の社会的な地位や実績なんか関係なし。レースがスタートしてしまえば、誰の力を借りることもなく、自力でゴールにたどり着かなければならない。その過程で、自分の内面や性格というものを、イヤというほど思い知らされるはずです。

自分のペースを守ろうと思っていても、誰かに抜かされるとムキになって抜き返そうとしたり。あるいは、想定していたペースより遅くなっても、あえて攻めずに慎重になったり。最初からガンガン飛ばす人もいれば、スロースターターもいる。

体のどこかに不調を感じたときに、あっさりリタイアする人もいれば、無理してダメージを大きくしてしまう人もいる。そういったレースで表れる傾向というのは、じつは普段の仕事や生活の中でも存分に発揮されているものなのです。本人が気づいていないだけで。

レースではなく、日常のランニングでも、自分の原点に立ち返る瞬間はよく訪れます。たとえば、目の前にあった仕事の悩みをフシと忘れて、「そもそも自分は何のためにこの会社に入ったんだ?」「オレがやりたいのはこういう仕事だったはずだ」といったことが頭を過ぎた経験は、ランニングをしている人なら一度や二度はあるのではないでしょうか?走るたびに原点回帰ですよ。

走ることは、極めて動物的で原始的な行為です。喉の渇きを覚えて水を欲するし、自分の体力の限界も感じることができる。そういう状況に置かれると、人間の思考は目先の問題よりも、もっと根本的で本能的な部分に向けられると僕には思えるのです。

そういう原点回帰の瞬間は、プランニングという作業においても、とても大切なのです。
アイデアを出したり、企画を立てたりするのも、孤高の作業です。ビジネスであれば、さまざまな制約を念頭に置かなければなりません。その制約の中に思考が埋没してしまわないためにも、ランニングで自分の内面や原点を再確認できることは、大きなプラス効果をもたらしてくれるでしょう。



2.ランニング中の気付きを遡って思い出す
せっかくインプットした記憶も、どこの引き出しにしまい込んだのかわからなくなってしまっては意味がありません。記憶は、いつでも好きなときに呼び起こすことができてこそ、アイデアや企画のパーツとなるのです。

記憶を呼び起こすためのトレーニングがあります。記憶のいもづる式と勝手に名づけていますが、1つの記憶を単体として覚えておくのではなく、他の記憶との関連の中で覚えるというものです。これを日頃から行うことで、記憶の定着が強化され、呼び出しやすくなり、なおかつ他の記憶との複合も起こりやすくなります。

たとえば、日常の何気ない会話で考えてみましょう。「高校野球」の話をしているうちに「部活」の話になり、そこから「水泳」→「海」→「クルマ」→「旅行」→「アメリカ」→「ロック」→「祭り」……

といった具合に、話題がめまぐるしく変わっていくようなことがよくあります。これが、いもづる式につながっている状態です。が、話しているときは、話題がつながっていることは意識していないものです。

それを意識するのがトレーニングの方法で、「祭り」の話をしているときに、「なんで祭りの話になったんだ?」と、記憶を遡ってみるのです。そして、「ロック」→「アメリカ」→「旅行」→「クルマ」→「海」→「水泳」→「部活」→「高校野球」と、いもづる式に記憶をたぐり寄せる。この過程で、個々の話題が関連の中で脳にインプットされるのです。

さて、ランニング中に気づいたことが、次々にじつは、走っているときの記憶は、ほとんどの場合、無意識のうちにいもづるでつながっているのです。

そのいもづるを、ランニング後のストレッチをしているときなどに逆に引っ張り、思考を遡ってやれば、気づきが強烈にインプットされると同時に、記憶を呼び起こすためのトレーニングにもなるというわけです。

まさに、一石二鳥だとは思いませんか?いもづるをたぐり寄せている最中に、新たな気づきがあれば、それも大事にしてください。いもづるは、どんどん枝分かれしてもいいし、枝分かれの中からひらめきが生まれることもよくあるのです。



3.ランニング中は考えるだけの贅沢な時間
会社脳や6畳間の世界観を、「自分には関係ない」と感じている人もいるかと思います。でも、自分が健全な思考環境を得られているかどうかは、別な話。現代人、とくにビジネス・パーソンーの日常に共通して言えるのは、「考えるだけの時間」が極めて少なくなっていることなのです。

そんなことはない、毎日いろんなことを考えている、という反論が聞こえてきそうですが、それは本当に、誰にも邪魔されずに自分のペースで考えていると言えるでしょうか?

会社にいれば電話もかかってくるし、同僚から声をかけられることもあるはずです。仕事中にペンも持たず、パソコンにも向かわず、周囲の雑音も気にすることなく、ただただ自分の思考だけを楽しんでいたとしたら、「サボっている」と思われるに違いありません。仕事中の思考というのは、じつはいろいろなことに邪魔されながら考えているものなのです。そこからは、何気の臨戦態勢にはなかなか入れません。

だから、ランニングの時間が貴重になってくるのです。
走っている間というのは、誰からも中断されることなく自由に考えることを可能にしてくれます

もちろん、街の中を走っていれば、信号を気にしたり、自動車や自転車に気をつけたりはしなければなりませんが、思考の妨げになるほど神経は使いません。基本的に、ランニングは「気づき」と「記憶の複合」を存分に楽しむための時間になっているのです。

「考えるだけの時間」を確保するのは、意外に難しいのです。たとえば就寝前のベッドの中などは、考えるのに適してはいますが、その気になれば他のこともできちゃいます。お腹が減ったら何かを食べることもできるし、子どものことが気になれば寝顔を見に行くことだってできる。

翌日の会議が心配になれば資料に目を通すこともできるし、眠くなったらそのまま眠れる。そういう他のことがランニング中はできないのです。詰まるところ、ランニングというのは「考えるだけのぜいたくな時間」でもあるわけなのですよ。

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