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日本で最初のマラソンは神戸と大阪間の32kmレースだった

日本で最初のマラソンレースは1909 (明治42)年3月21日、神戸-大阪間の20マイルで行われた。1マイル=約1・6kmだから、約32kmのレースだ。

スタート地点は、湊川埋立地、ゴールは新淀川西成大橋東端。当初、神戸元居留地東遊園地だったスタート地点が湊川へ変更されたのは距離不足のためで、3月13日付の大阪毎日新聞にこうある(句読点筆者。以下、引用には適宜句読点を補った)。

本邦初の「マラソン大競走」は現在と変わらぬほど綿密に企画され厳密に運営された。主催した大阪毎日新聞はあらかじめ全国に参加者を募集し、最終的に408名が申し込んだ。

申し込みに際して予選が行われた地域もあり、書類選考で151名に絞られ、3月13日に十数名の医師によって行われた体格検査に131名が集まり、128名が翌14日、鳴尾競馬場で行われた10マイルの予選会に出場した。予選会は抽選で32名ずつ4組に分かれて1周1哩の競馬コースを10周。各組5着までの計20名で本戦が展開された。

主催新聞社の意気込みは大きく、大阪毎日新聞は3月7日に2ページ見開きの特集で決意を吐露した。予選出場者のなかには、日本が最初に参加したオリンピックストックホルム大会(第5回、1912年)の短距離代表になる東京帝国大学の三島弥彦の名前もあり、三島はろ組6位で予選落ちした。

早稲田大学0Bの作家、押川春浪が東京帝大の土田新太郎の応援に駆けつけたが、こちらは途中棄権。優勝は岡山県英田郡西粟倉村の在郷軍人で25歳の金子長之助だった。優勝タイムは2時間10分である。金子は鳥取との県境の村人で、吉野川を下った坂根という集落までの9里36kmの山道コースを2時間10分で練習し、実家にはお参りに行くと言って参加したという。

身長5尺3寸8分(約163cm)、体重は15貫(約56kg)。出場者で最もいい体格の土田新太郎が5尺6寸1分(170 cm)、17貫300匁(約65kg)だから、当時の日本人の体格はかなり小柄だった。

東京の学生を抑えて優勝したのが、日露戦争で勲八等を頂戴した軍人だったとは意外だが、大会前に「よき声を出す妙薬オース」が実施した人気投票で金子は3位に入っている。

一番人気の井上輝二は地元神戸の学生で予選トップ通過。金子は予選2位だった。当時の記事に「兵庫県武庫郡在郷軍人団は同県より出でたる在郷軍人の選手加嶋政義氏のため同じく応援隊を組み立て」(大阪毎日新聞3月18日付)とある。最初のマラソンから動員がかけられ、沿道は熱い声援に包まれたようだ。

優勝者の金子はもちろん、上位入賞者には高額賞金と膨大な賞品が授与された。優勝賞金は300円、いまの物価から弾き出すと500万円にも1000万円にも相当する額だ。以下、2着が200円、3着100円、4着50円、5着30円。自動車こそないが、金時計、食器、双眼鏡、屏風、桐箪笥、万年筆など100社近いスポンサーの賞品が山積みとなった。