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  2. マラソンの起源

古代オリンピックと近代オリンピック、そしてマラソン

はるか昔の話をしよう。紀元前490年のことである。
当時、世界最大の勢力を誇り、領土拡大のためアテネ攻略を目指していたペルシャの大軍は、地中海のギリシャに侵攻した。ギリシャ軍はアテネの北西40kmにあるマラトン村で大軍を迎え撃つことになった。

戦前、「この戦いは不利」と読んだアテネ王はおよそ250km離れた都市国家スパルタに援軍を求める伝令(「フィデピデス」と呼ぶ専門職)を差し向けていた。

なぜなら、スパルタは当時、陸戦を得意とする軍隊を擁していたからだ(後年、この伝令行の史実が検証されて「スパルタスロン」というウルトラマラソン・レースになる)。

時のスパルタ王はスパルタ教育でも有名なレオニダスだった。
マラトン村でペルシャ軍を迎え撃ったアテネ軍は、名将ミルティアデスがとった巧みな戦略「鶴翼の陣」により、強敵ペルシャ軍を見事打ち破ることになる。

この戦勝のニュースをアテネに知らせる伝令はおよそ40kmの道をひた走り、アテネの城門に到着し、「戦況やいかに?」と待ち構えた大勢の市民に向かい、「喜べ、勝ったぞ!」と告げたが、そのまま倒れて絶命した。

想像するに、アテネは地中海気候で、日中は気温も40度近くまで上昇し、空気も乾燥した気象環境である。伝令は戦装束のまま走り続けて行ったことだろうから、疲労・脱水によって絶命してしまったのではないかと思う。

古代史に残るエピソードであり、これがマラソン起源というのが定説である。

マラソンという名の長距離競走がはじめて行なわれたのは、1896年の第一回オリンピック大会である。スタート地点は、アテネの競技場から北西へ40km離れたマラトン村であった。

参加選手25名、パパディアマントパウロスという長ったらしい名前のギリシャ陸軍大佐がスタート合図をしたという。時に、1896年4月10日午後2時。マラソン競技112年の歴史はここから始まった。

もっとも、ここで始まったマラソン競技は、フランス人ピエール・ド・クーベルタンが近代オリンピック競技として復活させたもので、ランニング自体がいつ頃からスポーツになり、競技として行なわれるようになったか、正確なことはわからない。

日本での第一次ランニングブームの到来

こうした背景があったので、70年代に市民がランニングに向かって動きはじめたことはうなずける。

おりから、この現象をいち早くランニング雑誌という形で表現した出版社があった。その雑誌は『ランナーズ』というランニング専門の月刊誌である。

当時、スポーツに関する雑誌、とりわけランニングや陸上という分野には、『月刊 陸上競技』か『陸上競技マガジン』くらいしかなく、この両誌ともに競技会の記録掲載が中心で、バリバリに教科書の延長線上の内容でしかなかった。

ところが、『ランナーズ』は、ランニングが持つ魅力の紹介にはじまり、市民がランニングを始めるときの注意点や走り方、栄養の取り方、手入れの仕方、全国の大会情報など、ランニングをやってみたい、という初心者が求めている情報やノウハウが満載されていた。

「走ってみようかなぁ」と思っている人たちはこの雑誌を求めた。雑誌のサブタイトルには、「走る仲間の情報マガジン」とあり、まさに市民ランナーのためにこそ、誕生したような雑誌だったのである。

そこから第一次ランニングブームと呼ばれるトレンドが巻き起こる。唯一、一般市民が参加できる有名なマラソン大会として、東京都青梅市で開催された「青梅マラソン」(30k m)が市民ランナーの聖地的位置づけで異常な人気があった。

『ランナーズ』創刊が拍車をかけたこともあって、その後は全国で雨後のタケノコのごとく、市民マラソンが勃興していった。ほぼ毎週のように10k m、15k m、20kmといったランニング大会が行なわれるようになっていった。しかし、フルマラソンの大会だけは当時はまだそれほど多くは開催されていなかったのである。


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