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世界のアスリート・スポーツ選手の勇気がもらえる名言集

勇気がもらえる名言集 1.アスリートやスポーツ選手にはそれぞれの歴史があり、誰一人として同じ人生の人なんて存在しません。

しかし境遇は共通していることも多いと思います。練習や 試合、競技の本番の試練を耐え抜いてトップアスリートとなった人たちの名言を国内外問わずに集めてみました。

勇気がもらえる言葉ばかりですので、また明日からがんばろうと元気ももらえます。必見ですよ!

日本一のラグビー選手になる。そう心に思うことにお金はいりません。力もいりません。身長もいりません。思うだけなら何にもいらないんです。でも思わなければ近づきません。 ラグビー 山口良治

ドラマ「スクールウォーズ」のモデルとなった伏見工業高校ラグビー部総監督の山口良治は中学生まで野球部員であった。高校に野球部がなく、嫌々入部したラ グビー部でルールも分からず走り回るうちに魅力に引き込まれ「日本一の選手になる」と考えるようになったという。

ボロぞうきんのようになっても、アメリカで野球をし続けたい 野球 松井稼頭央

渡米前から口にしていた言葉である。最初に所属したニューヨークメッツでは十分な活躍ができず、トレードされたロッキーズで初めて実績を残せた。そんな松井稼頭央に日本の球団が好条件で復帰を求めたがまだ成功とは言えずに断ったという。

今日できないものは明日もできない。いつもそう思って毎日を大切にしたい。 ウェイトリフティング三宅宏美

アテネオリンピックに出場し、世界選手権では銅メダルを獲得した三宅宏美がいつも心がけている言葉である。

思いついたプレーの中で、いつも一番難しいものを選択することにしている。 サッカー ロベルト・バッジョ

イタリア代表として長く活躍し、イタリアの至宝と呼ばれ多くのファンに愛された。楽な道ではなく、苦しくて時には困難を伴う道を選ぶ。そこには弱気はない。

思い切って跳べたらだいたい着地できる。フィギアスケーター 小塚崇彦

  摩擦のない氷の上でピタッと止まってはいられない。大丈夫かなぁという迷いがパフォーマンスの低下につながってしまう。大事なのは自信。

不可能とは、現状に甘んじる言いわけにすぎない。 ボクシング モハメド・アリ

蝶のように舞い、蜂のように刺すと称される華麗なヘビー級チャンピオンで19回の防衛に成功。アリにとって不可能とは可能生への通過点に過ぎなかったのだ。

「人間って楽なほうに行こうとするんですが、「ここで負けても次があるや」って思ったら、もうそれで終わり。」 ゴルフ 宮里藍

チャンスの女神など、そう何度も微笑むものではない。だから逃げることなく何が何でも勝つと、自分を追い込む。苦しいけど頑張って耐えたものだけが選ばれた者になれるという宮里藍の考え方だ。

「努力は必ず報われる。もし報われない努力があるのなら、それはまだ努力とは呼べない。」 野球 王貞治

とにかく努力を尽くしたと簡単にやめてしまう人が多い中で、本当の努力とは何か、報われるとはどういうことなのか考えさせられる言葉である。

特待生には絶対負けなくないと思った。 今野泰幸 サッカー

小学一年で始めたサッカー。強豪東北高校のサッカー部に入るが、同期の特待生が先輩達と練習しているのに、一般の今野はボール拾い。その悔しさがエネルギーとなっている。

世界で一番バカなことは、才能がありながら他人の真似をすることさ。 野球 ウィリー・メイズ

ゴールドグラブ賞12回、盗塁・本塁打王共に4回。走攻守が高いレベルで備わった名選手。イチローの強肩がレーザービームならメイズの強肩はライフルアームと呼ばれる。 不可能の反対語は可能ではない。挑戦だ! 野球 ジャッキー・ロビンソン 黒人初の大リーガーとなった人物で、当時の大リーグは有色人種を排除しており、仲間は大リーグ入りを不可能と言った。そんな仲間へ決意を表した言葉。入団の年から新人王を獲得し、MVPも受賞。彼の背番号42は全球団共通の永久欠番となっている。

「失敗するか成功するかは、やってみなければわからない。失敗したら、その時点で次を考えればいい。」 スキー萩原健司

アルベールビルとリレハンメル、冬季オリンピックの2大会連続でスキーノルディック複合団体優勝、ワールドカップ通産19勝など輝かしい成績を残した。やる前から逃げ腰では、できることもできなくなる。まずはやってみることだ。

「昨日のボクより上手に乗れるようになっていたい。」 競馬 武豊

今も勝ち星を積み重ねている天才ジョッキー武豊の言葉である。結果に一喜一憂するのではなく、1日1日、自分がどれだけ進化しているかを見る。

「もっと知りたい、もっと学びたい。こうした好奇心を失わないことで、人は成長していくのだと思う」 水泳 イアン・ソープ

わずか15歳で水泳オーストラリア代表となり、シドニーとアテネオリンピックで金5つと銀2つを獲得。「完璧な泳ぎができたら僕は引退するよ」と常にポジティブだった。成長することの大切さを語ったものだ。

「期待してくれる人がいる限り戦い続けます。」 柔道 谷亮子

世界選手権6連覇、オリンピック2連覇といった記録を打ち立てた谷亮子も08年には33歳。柔道という激しい競技は困難と思われるが引退の文字はない。期待がプレッシャーではなく力へと変わるのが谷の強さである。

簡単なことを一生懸命やるということが大事なんだ ボクシング 輪島功一

25歳とボクサーとしては遅いデビューであったが世界スーパーウェルター級王座を3度獲得。遅いデビューにも関わらずあせることなく地道な練習をきちんと 積み重ねた結果である。簡単に見えることを繰り返すことの難しさと大切さを知っているから説得力のある言葉だと言える。

「基本である1,2,3をきちんとしないで、いきなり4とか5をやるな」。 レスリング ジャイアント馬場

ジャイアント馬場やアントニオ猪木の全盛期、プロレスはゴールデンタイムにお茶の間のテレビで放送されるほどの人気を誇っていた。巨人の投手として入団し たが、怪我もありプロレスに転向。力道山の下で厳しい修業を積んだ。彼がもっとも大切にしたのは基礎練習だ。過信なのかあせりなのか、一歩ずつ上がるべき ところを2段、3段飛ばしで駆け上がろうとする人がいるが、それでは少し踏み外しただけで階段転げ落ちることになりかねない。

「これで大丈夫と思った時が、終わりの始まりなんですよ。」 野球 松井秀喜

手首を骨折したシーズン以外は100打点を確実にあげている松井は、「チャンスに強い選手」である。だが松井は「まだまだ先はある」と答えている。現状維 持では後退と同じことだ。どれほどの成果をあげても、そこに安住することがない松井の生き方を垣間見れる名言である。

「1000回の素振りより、すぐれたプレーを見るのが向上の近道。」 野球 古田敦也

野球では無名の公立高校であり、プロ入りも24歳と遅い。それが打てる捕手として成長したのは野村ID野球による面もあるが、いいところを柔軟に取り入れたところが大きい。素振りも必要だが、学ぶべきものは周りにたくさんあるということ

「ラストスパートなんです。明日のことなんてどうでもいい。今を思い切り投げて、球場で見ている人も味方にできれば」 野球 斉藤祐樹

06年夏の甲子園は早稲田実業を初優勝に導いた斉藤祐樹が主役だった。駒大苫小牧の田中将大と投げ合った引き分け再試合は圧巻だ。斉藤の好きな言葉は「今 を生きる」だ。明日を考えずに、今にすべてを賭ける。三連投だったにも関わらず引き分け直前の15回に球速147kmを記録するほどである。そんな気魄が 観客を味方にするのだろう。

「成功なんて、いつまでもぶらさがっていられるほど甘くないと思ってる。」 サッカー 三浦和良

日本のサッカー界を牽引してきたカズが40歳を過ぎても現役にこだわり続けるのはなぜだろう。指導者や解説者などの道は開かれているが、カズの生き方は次 元が異なる。成功は裏返るものでいつまでもぶらさがっていられないと考えているのだ。三浦和良のカッコ良さがある。

追い越そうとする努力より、追い越されまいとする努力のほうが、はるかに難しい 相撲 双葉山

大横綱・双葉山は36年から39年まで不滅の69連勝を達成している。この無敵の強さを支えたのは、角界の頂点に立つ者として追い越されまいとする努力の継続であった。

やめるという選択肢は頭に浮かばなかった 狩野舞子 バレーボール

狩野は何度もケガに泣かされているが、絶対に諦めない。アキレス腱を二度に渡り切ったが、再び日本代表に追加召集された。

トップだからいいというもんじゃない。2番目がかなたにかすむほどずっと先を行っていたい。」 野球 松坂 大輔

大リーグ1年目で15勝を挙げたが、内容には決して満足していないという。12敗という負け数と4.40という防御率に納得がいかない。何よりも同い年の チームメイトであるベケットが20勝を挙げてエースであることに「先に行かれた」という無念さを感じている。松坂のこの言葉は、やるからにはトップ、それ もダントツのトップでなければならないという強いプライドが感じられる。

人間って、できたことはうれしいけど、深く残らないんですね。やりたいのにできなかったことのほうが深く浮かび上がってくるんです。」 野球 城島健司

マリナーズで活躍する城島健司は1年目の試合中に若手投手の異変に気がついたがマウンドにはいけなかった。言葉の問題か、リードする意識が足りなかったの か、ほどなくタイムリーヒットを打たれた。そのことは1年目の活躍を打ち消すほどの悔恨を城島にもたらしたという。成功の中でも、できなかったことを見つめ、冷静に分析する。それが活躍と成長を支えている。

200階まで行きたい。エスカレーターもエレベーターもダメとなったら、もう階段しかないでしょう。」 野球 桑田真澄

200階(200勝)を目指してエレベーターでスーッと上がっていたし、ペースが落ちてもエスカレーターだったが、後半は階段でゆっくり上がっていくしかないという桑田流の表現である。

「なぜ」がすべての出発点なのだ」 ラグビー 清宮克幸

監督として13年間も日本一から遠ざかっていた早稲田大学を優勝に導き、サントリーも優勝の座につかせた。チーム創成期は「なぜこの練習をするのか」「な ぜこの動きをするのか」常にゼロから立ち上げていく。だが人が入れ替わるとなぜを忘れて伝統的なプレーに頼ってしまう。早稲田が日本一になれなかった理由 もそこにあった。この「なぜ」はどんどん伝えていく義務があり、チーム力を強くさせる。

教えることなんてできない。本人にその気がなければ何を言っても同じです。」 野球 工藤公康

ダイエー時代は城島健司の育成に一役買うなど若手育成に力を発揮した工藤が、ジャイアンツ移籍時に言った言葉である。馬を川に連れて行くことはできても、水を飲ませることはできない。意欲のない人間には教えても身に付かないということだ。

走る素質はないと思います。でも人が苦しくてダメだという時でも、私はやめない性格なんです。」 マラソン 有森裕子

バルセロナで銀メダル、アトランタで銅メダルを獲得した有森は決してエリートランナーではなかった。監督の小出義男に「オリンピックに出場させてくださ い」と願い出た時、「わかった、ただし人の3倍練習しないといけない」と言われるほどだった。だが有森には厳しい練習に音を上げることなくやり遂げる粘り 強さがあった。

「強い者が勝つのではない、勝った者が強いのだ。」 サッカー フランツ・ベッケンバウアー

キャプテンとして74年西ドイツワールドカップで優勝、監督としても90年にイタリアを優勝に導いた。勝負の世界においては勝ったものこそが真の強者であることを証明する言葉ではないだろうか。
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